発達障がいをカミングアウトした僕が障がいのある子どもたちの支援者になって感じていること

自分には発達障がいがある。注意欠如多動性障害(ADHD)である。小学校では、授業中に床で寝そべったり、遊具で遊んだりする子どもだった。

自分の障がいについて認知したのは「親御さんに渡してね」と先生から言われた茶封筒を勝手に開封してしまった6年生の時だった。手紙に“障がい“の文字。その時、今までは理解できなかった、通っていた場所(児童福祉センター)の意味や今まで薬を飲んでいた理由等がわかった。
それまでも、様々な場面でやりずらさを感じていたが、学校の先生が自分に対して優しく配慮をしてくれたおかげもあり、楽しい学校生活を送ることが出来ていた。

それから、自分のように支援が必要な子どもと向き合える仕事に就きたいと考え、教育大学に進学した。そこから紆余曲折あり、放課後等デイサービスで働くことになった。子どもたちと関わって、まず初めに支援が楽しいと感じた。例えば、来所してから連絡帳を職員に渡すという流れがあり、なかなか出そうとしない子どもに、どのような声掛けや支援をするのがよいのかを考える。毎回同じ声掛け等では段々と飽きてきたり、響かなくなったりするので、進んで「連絡帳を出したい!」と思えるような手立てを考えて実行し、実際に楽しそうにスムーズに出せたら嬉しいと思う。逆の場合はうまく支援できなくて申し訳ないなと思う。子どもたちが何かを出来たときに、すべて自分のおかげだとは思っていない。しかし、勝手ではあるが、一緒に成し遂げたような感覚を内心では味わっているのかもしれない。そこにやりがいや楽しさを見出している。

子どもたちと関わる中で、自分自身の障がいを意識するときは、支援の方法を考える時が多い。「自分が小学生の時はこうしてもらったな」「こう言ってもらった言葉は今でも心に残っているな」と自身の経験を振り返り、活かせそうな内容を探したりする。また、子どもが何かにつまづいていたり、かんしゃくを起していると、「ウンウン、わかるなあ」と思う。かつての自分以上に子どもが困難を上手に乗り越えている場面にもよく遭遇するが、それには「すごいなあ」とただただ驚かされる。これからも、同じ立場で子どもの気持ちに共感したり、より近い目線で一緒に物事を考えたりしながら支援ができたらいいなと考えている。

印象に残っているのは、施設を見に来る保護者や見学者に向けた掲示物を作成している際、子どもたちの作品に記入されている名前を編集で消す作業をしていた場面名前を消すという行為が、その子どもたちを否定している感覚になった。それは障がい者だから消されるのか、ということは同じ自分も消されるような、隠されるべきである存在なのかと感じ、とても悲しい気分だった。実際は、個人情報の保護という目的で、別にそういうわけではないことも頭ではわかっていたが、子どもの名前を消す作業はつらかった。実際のところ、障がいがあることは何となく恥ずかしいこと、隠すべきこと、デリケートな話題だという風潮はある。差別されるから?いじめられるから?後ろ指で刺されるから?就職や昇進等で不利だから?理由はあんまりはっきりとはしないが、少なくとも自分はあると考えている。こうした風潮をなんとかしたいと考えた結果、カミングアウトを積極的に、かつ明るく行うことを思いついた。

この現状は、障がいというイメージがわかないことからくる恐怖感、異物感が一つの要因として考えている。声を上げて、自分について、障がいについて知ってもらうことで、少しでも障がいのイメージのハードルを下げられたらいいなと思う。また、自分が障がい者の一人として社会の中で仕事をがんばることも、ネガティブな障がいイメージの払拭に繋がったり、子どもたちの希望になると信じたい。

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