人は人として平等に生まれ、、、

今回は以前掲載した60年間障がいに関わり続けた方からのお話の続編になります。まだ前回のお話を読まれてない方は「それは突然に、、、」からお読みください。

人は人として平等に生まれ、やがてその内から何人かは障がい者として守られ、支えられて生きる。
 人としての権利を自ら実行するための様々な不都合を可能な限りカバーしてくれる。ここ70年余りで日本の法律は次々と整備され、私が過ごした子供時代には思いもよらなかった世界が構築されてきた。誰の目にも明らかな身体障がい者はともかく、知的、あるいは精神障がいのある者の家族は家系の恥部として公さを教師として何度も見てきた。
 周りには全寮制の県外の私立高校に進ませると説明していたという。
 健常者と障がい者の間には厚い壁があり段差があり、一旦そちらの世界の者だと認定されればもう二度とこちらの世界には戻れないという感情、、、それほどの悲壮感の中で家族はもがいていたのだろう。
 今多くの40代の人たちは兄弟姉妹の結婚式にも参列できる。相手側の当事者はもちろんその家族にも堂々と紹介され、家族として迎え入れてもらえる時代になってきた。しかし75歳の私の同世代では、結婚式はおろか祖父母両親の葬儀にも参列させてもらえなかった人たちがたくさんいる。
 実は私にも母方の従妹に生後まもなく小児麻痺を患った子がいた。その子は6歳で亡くなった。この時の私は中学生であったが祖母がポツリと放った一言がずっと記憶から消えない。
「まゆみちゃんは死んで、千恵子(まゆみちゃんの母-私の母の妹)の苦労を取り除いてくれた。」その後、叔母は日舞を習いアメリカに渡った長女の許へ度々訪れ5人の孫に恵まれた。晩年は高知にいる私の所へも母と連れ立って遊びに来てくれた。叔母の穏やかな笑顔は祖母が言ったように死の代償だろうか?確かめることなく叔母は70歳で、病で亡くなった。天国で二人が6歳と30歳のままの姿で寄り添って、現世ではたせなかった幸せを生きていることを願うばかりである。

次回へ続く

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