彼らの中には自分が障がい者という概念がない場合がある

知的障がい者を雇用している方から教えていただいた。
「彼らの中には自分が障がい者という概念がない場合がある。その割合は低くない」
障がいのある彼らと一緒に仕事をしている方だ。
実感として正しいのだろう。
続けて教えてもらった。
彼らは幸せに生きています。
生活サポートが必要だ、という声。
より高い給与・工賃を稼げるように、という声。
基幹事業に携われるように、という声。
こうした声は、彼ら本人の声ではありません。
周りにいる家族や雇用者の声です。
周りはそれを叶えようとして必死になっています。
彼ら自身と保護者・雇用者。
この両者には決して埋まらないギャップがあります。
かわいそう、という言葉も同じです。
そもそも障がい者と思っていない彼ら。
その言葉を第三者から聞いたとしても「?」という表情や言葉で返します。
そういえば、フェアリー(公平性)という社名をつける時にこんな話をした。
誰もが公平に幸せのチャンスを掴めるように。
かわいそうだとか、かわいそうがられるとか、そういうのがなくなるように。
そんなことを言うだけで「差別だ」と潰しにかかる方たちが、ちょっと前まで山ほどいた。
今だっているだろう。
でも今は少なくとも議論にはなる。
接するすべての方にリスペクトを持ちながら、こういったことをどう考えるのか。
障⇔障継承プログラムが動き続ける間は、ずっと考えることなのかな、と思います。

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