障がい者が世間に受け入れられるには?

今回は、障がい者雇用に長年携わってきた方にお話を伺いました。
「障がい者が世間に受け入れられるにはどうすればいいですか?」
今まで色々な人が考えてきたであろうこの問題に、その方は少し考えてこう答えてくれました。
「大きく言えば特別支援学校と通常校等を分けずに 障がい者との隔たりを取っ払うことだと思う。しかしそれは現実的ではありません。関わりたくない・怖い等の感情は、そのほとんどが無知から来るものなので彼らの事を知ってもらうしかありません。では、どうやって知ってもらうのかと言うと、自分から動くというのが大事なのかなと思います。
先日とある電車に乗った時の話です。その日は、ほぼ満員で指定席をとって乗車しました。車内は隣り合わせで座れる席はなくパラパラと席が空いているのみでした。そこに70代くらいのお父さんとその息子さんが乗車してきました。車内で空いている席は私の通路を挟んだ隣の席とそこから3つほど前の席のみです。その親子はその2つの指定席を取っていたようです。息子さんが私の隣の席に座る時にお父さんが
「静かにしておくんだよ。動いたらだめだよ。」
と声をかけていました。30代くらいのその息子さんは大きな体に似つかわしくない可愛らしいリュックサックを背負い野球帽を被っていました。お父さんからの声掛けにオウム返しで
「うごかない。静かにする。」
と呟いています。明らかに配慮の必要な方だというのが分かります。3つ前に座ったお父さんが何度も振り返りながらここに居るよと合図を送っています。静まり返った車内に息子さんの
「スーハースーハー」
大きな深呼吸の声が聞こえます。私はお父さんの席に行き
「座席を変わりましょうか?その方が安心でしょう。」
と声をかけました。お父さんは大変喜ばれて先に降車する際にわざわざ私の席まで来てお礼を告げてくれ ました。するとその横で息子さんもお父さんの語尾をとって
「助かりました!ありがと
うございます!」
と頭を下げてくれました。この一連の出来事の間、息子さんの隣の席の方も周囲に座っていた席の方も、その親子に視線すら向けない状態でした。
私がここで皆さんに伝えたい事は決して私がとても親切だとか、他の方が不親切だとか言うことではございません。仮にその親子が幼い子供を連れた親子なら状況が変わっていたでしょう。明らかに身体に障がいがある方とその支援者と分かる2人組でもまた違う状況だったんだと思います。小さい子どもがお母さんと離れて座る状況に遭遇したらほとんどの方が自ら席をかわりましょうか?と声をかけたのではないでしょうか?今回のケースは一見配慮や手助けが必要な方と分かりずらいケースです。それでもその様子ややり取りを見ていると困ってらっしゃる事は十分に読み取れるケースでもあります。きっと多くの人は目に見えない障がい(知的障がいや精神障がい等) 方々を身近で見た経験が少ないんだと思います。だから不親切ではなくてどうすれば良いのかが分からない。なんと声をかけたら良いのかが分からないという戸惑いからの沈黙の時間だった と思うのです。ただ、もしかしたら私の行動を見た人が次に自身が同じケースに遭遇した時は声をかけられるかも知れません。そして、更にそれを見た周りの方がまた、同じケースに遭遇した時に同じ事が出来るかもしれません。
障がい者が今より受け入れられる様になるには?という質問に、例えば法律や制度やルールを変える事、大々的な啓発活動の実施等が決して有効だとは思いません。ホントの意味でのバリアフリーやダイバーシティとは私たち一人ひとりの生活の習慣や他者への寄り添いや思いやりからしか生まれないと思います。
この話から皆さんはどう思いますか?
どうすれば障がい者が世の中に受け入れられるか?という障がい者というカテゴリーに限定した問題ではなく、例えどんな人であったとしても、隣人や他者に手を差し伸べれられるかどうかというテーマなのだと僕は感じました。
一人ひとりが、隣の誰かを思いやる。その隣の誰かが、またその隣の誰かを。そうした連鎖が、どんな人でも生きやすい社会を創っていくのだと思います。
僕たち大学生は、まだまだ長く続く人生のスタートラインにたったばかりです。これからの人生の中で、出会う人の数は数百、数千、もしかしたら数百万人以上にもなるかもしれません。今日、僕の隣にいる人を受け入れる事からはじめていきたいと思います。

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