インタビューを経て、、、

インタビューを経て、、、

たしかに近年の社会では多様性なども相まって自己診断でADHDだと言う人は増えてきていると感じる。それはADHDの認知度が上がったからなのか?それともADHDを軽視しているからなのか?ただ、知っておかないといけない事はADHD「傾向」とADHDは全く違うということです。今回インタビューに回答してくれた方も、今は薬のおかげで生活も楽になりポジティブに物事を感がられるようになってきたと言うが昔は相当苦しい思いをしてきたという。その経験があるからこそADHDを軽く見られるような現状には苦しいのだろう。

ではファッションや免罪符にADHDを使う人が増えている中で周りの人たちはどうすればいいのか?まずは免罪符をあたえることと、配慮することは似ているが違うものだと思う。誤った行為を許すのではなく、その行為をしないように周りが配慮するのが大事だ。そして本当に配慮が必要な人とそうでない人を見極めることも必要です。今回の問題は自分のマーケティングやブランディングのためにADHDや障がいを使う人が増えていること。本当にADHDで苦しんでいる人や、そのことが原因で自ら命を断とうとしている人達が声を出しにくくなってしまう。それはあってはならない。そしてADHD特性について社会が真に理解していくこと、人によって違う部分は認め合う、どちらか片方が寄り添うのではなくお互いに寄り添いあう、そしてそれに感謝することが必要なんだと思う。

しかし上記のようなこと全てが悪というわけでは無いのだともおもう。ADHDが浸透していくにあたって、一昔前ではやはりこれと同じように「鬱」という概念が広がりだした頃に自称鬱が多用されるようになって、それを新型うつだとか甘えだと言ったり、本当に鬱で苦しんでいる人がいるのにそれはどうなの?と社会からおおきな反発があった。しかし、時間をかけて社会が鬱に対する理解が深まった結果、誰も理解のなかった時代より遥かに生きやすくなり、鬱という概念が社会に広がったのは該当する人にもそうでない人にとっても得しかなかったように思う。そしてこれはADHDも同じ道をたどるのではないかなと思う。今は過度期で社会の反発があるが、いきつくところは他人を認められる社会になるはずだ。
今回インタビューに答えてくださりありがとうございます。今の世の中、自分の障がいをカミングアウトするのは勇気がいる行為です。しかしその勇気がもしかしたら他の方の勇気を振り絞る助けになるかもしれない。そして最終的には自分に帰ってくるはずです。この記事を読んでくださる皆さんが、また誰かの勇気を出す助けになる事を祈っています。

関連記事一覧