平等に扱われるのは、、、

昨日に引き続き続編(part3)です。まだ、part1.2をお読みでない方はそちらからお読みください。
今と昔何が違うのか、、
75年間で何を思うのか、
それに迫って行けたらと思います。

くり返そう、
人は人として平等に生まれ、この世にいる間はある人は障がい者として支えられる。しかし、亡くなったその瞬間から人として平等に扱われるのである。
私は平成12年から28年までの16年間、成人施設の寮長・管理者という立場で生きてきた。入所者の中には60歳を超えた高齢者や若くして難病を抱えた人たちも見られた。そして6名もの葬儀にも立ち会った。
改めて気づいたことがある。息を引き取ったその瞬間から一人の人間として全く平等に扱われるという事。死亡届には障がい者欄はない。霊柩車代も葬儀代も戒名代もお坊さんのお布施も火葬代も、もう障がい者割引は通用しないのである。
皮肉なことではあるが、肉体という衣服を脱ぎ捨てた瞬間から人は人として平等に最期を生きるということ。

私は四国霊場札所の門前で18歳まで過ごしたが格別信仰心が厚いわけでもなく。20代から60代までは仕事にかまけて実家の墓参りも跡取り弟夫婦にまかせっきりで実家や嫁ぎ先の宗派のお経も唱えられない不届者である。しかし、70歳になったころから、自然とこの世とあの世には隔たりなどないのでは?と感じ始めている。世界各地でそれぞれに引き継がれている死者の弔いに、やっと意味を感じ始めている自分がいる。
そして今の私の一番の唯一の願いは、肉体というお洋服を脱ぐときに「あ~楽しかった。幸せだった。」と心底思いたいという事である。
これは障がいのある人たちも同じであって欲しい。。。

次回へ続く

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