働いて生きていく

「僕が休むと会社が潰れる」
朝一番に鳴った会社の電話。その受話器の向こうで、泣きながら重度知的障がいのあるA君がそう言う。ご家庭の事情でどうしても欠勤をしなくてはならなくなった朝、その旨を伝えるためにかけてきた電話での台詞。
「やったー!僕たちの力や!」
毎年恒例の年度総会で、決算黒字の発表を聞いた瞬間にガッツポーズにて喜び、お互いをたたえあう障がいのある社員たち。
「俺の仕事は大変な仕事よ!女子供には無理!」
誇らしげに腕を組む入社10年目、ダウン症のB君。
「私ねぇ、前の作業所でお給料七千円やった。今は15万円。お母さんがニコニコしゆうよ~」
作業所を辞めて入社をしてきた知的障がいのある彼女が笑顔を見せる。
「不登校でほとんど学校にも行けなかった息子が、風邪をひいて休むと会社に迷惑をかけるからと、手洗いウガイを欠かさないようになりました。家族全員で奇跡が起こったと驚いています」
中学高校とほとんど学校に行けなかった発達障がいのあるC君のお母さん。

弊社の雇用する障がい者の多くは重度知的障がいのある社員だが、その生産性はグループ内他工場と比較しても遜色のないレベルである。従業員全員が基幹業務に携わり、文字通り戦力として
活躍している。
一方、日本における企業の障がい者雇用の中には、障がい者でも(・・)できる内職的な作業を、採算性度外視でさせるケースもみられる。例えば、シュレッダーを1日中かける、簡単な社内清掃などなど…、それだけでは決して収益ベースに乗らない仕事に従事している障がい者も多い。
彼らにしてほしい仕事があるから雇用をするという大前提、いわゆる雇用の整合性が合わなくても、企業としての社会的責任を果たすことを優先した雇用だと、いかにももったいない。こういった雇用では、企業に義務付けられた法定雇用率(※法定雇用率とは障がい者の雇用を促進するために民間企業や国などの事業主に義務付けられた、雇用しなければならない障がいのある人の割合のこと。2021年現在、企業に求められる雇用率は2.3%。)を達成するための義務的雇用となってしまう。
さらに、そういった雇用にすら結びつかない障がい者もその数倍存在する。
特別支援学校を卒業した障がい者の多くは、社会福祉施設に進路を決める。例えば、2018年のデータ(※出典:文部科学省 特別支援学校高等部(本科)卒業後の状況)では、21,657人の卒業生のうち約31%が就職(短時間雇用も含む)、約61%が社会福祉施設等への入所・通所(24時間の寝食を含むサービスを提供するものを入所施設といい、日中に自宅などから通うものを通所施設と呼ぶ)であった。この61%の大半は通所施設だが、その多くは、非雇用型の就労継続支援B型事業所(雇用契約を締結せずに日中に何らかの作業をする、いわゆる作業所)、有期限で専門的なサポートを受けながら就労を目指す就労移行支援事業所、より重度で日中の支援が必要な方が利用する生活介護事業所などである。彼らが1か月間毎日それらの事業所に通所し、何らかの生産活動をして手にする工賃の平均は、B型で月約1.6万円という状況だ。この数字は、今の日本では障がい者が自分の力で稼いで自立して生きていくことは非常に困難と言っても過言ではない数字だといえよう。

弊社に見学に来られる福祉事業所の支援者や特別支援学校の教師は、社員の働く姿を見て皆一様に驚かれる。「なんであの子がこんなに働けるようになったの!?」「あんなにパニックを起こしていたのに」「あれほどしんどいことから逃げ回っていたのに」「うちの作業所に居た時は、集中力が続かずさぼってばかりいたのに」「不登校だったのに」「他傷行為やパニックが絶えなかったのに」
その光景を奇跡だと表現される方も…。
障がい者=働けない。この構図をまず崩さなくてはいけない。

弊社は企業である。知的障がいや発達障がいのある社員に仕事を教え彼らと共に働くのは、福祉経験ゼロどころか人生の中で障がい者と関わった経験がない若いスタッフがほとんどだ。入社時には「自閉症ってどんな漢字ですか?」「発達障がいってどういう障がいのことですか?」というレベルである。
入社後にも、てんかん発作時の対応や障がいの特性上配慮が必要な事項など、社員の安全を守るために必要な最低限のスタッフ教育はするが、わざわざ「障がい」をピックアップした専門的な教育はしない。
それなのになぜ、弊社で働く障がいのある社員たちは、これだけの就労能力を発揮できるようになるのだろうか?仕事への集中力や継続力、責任感が芽生えるのだろうか?
弊社の障がい者雇用を知る方々から一番多く頂く質問は「障がい者に仕事を教えるための何か特別な教育の仕組みがあるのでしょうか?」である。

特別な仕組みはない。けれど、これがその答えだと確信していることが1つだけある。
それは、彼らにしてほしい仕事(力を発揮してもらわなければ困る仕事)で雇用し、正当な対価を払う。前記した、雇用の整合性をきちんと貫いているということだ。

想像してみてほしい。仮にあなたが、責任のある重要な仕事を任されていたとしよう。ある日、会社から「〇〇さん、明日からは売っても売れなくてもいいから、自分のペースで手作り石鹸を作ってください。心配しなくてもお給料は今まで通り払います」と言われて、その仕事に集中して熱意をもって向き合うことができるだろうか?
逆に「明日からも、その責任のある重要な仕事を集中して一生懸命、お願いします。でもお給料は1.6万円」と言われたとして、誠実に仕事に向き合えるだろうか?
私ならどちらでもNOだ。人は、必要とされ求められるから力を発揮する。そして正当に評価をされるから継続できるのだ。障がい者だから、やってもやらなくてもいい仕事でも、それを仕事と思わせられるのか?1.6万円の工賃でも仕事と思えるというのか。そうであるとすれば、それは差別だ。あなたがやらないと誰がやるの?あなたにやってほしい!あなたが必要だ!
障がいがあってもなくても、そういう仕事を目の前にするから人は力を発揮するのではないだろうか。弊社に入社する前に所属していた事業所で、働けない、継続力がない、すぐ休むと言われていた彼らが、数年すると誇り高き働く人の顔になり、冒頭のセリフを口にする。
入社当初は、泣いたり逃げたり、暴れてパニックを起こして……そんな激しい時期を経た数年後には「この会社で定年まで働くことが目標です」と笑う。私たちは、それが答えだと確信している。

この「障⇔障継承プログラム」を通して、一人でも多くの生き辛さを抱えている障がいのある方々や子どもたちが、誰かや何かのためになっていると確信できる経験を人生の中で数多くできますように。一人でも多くの彼らが働いて生きていけますように。
このプログラムが、誰でもが当たり前に働いて生きていける社会へ向かうための希望の光となりますように。

2021年12月
「障⇔障継承プログラム」ポータルサイトOPENに寄せて/著者:匿名A

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