vol.03「事実に圧倒された光の村1日密着!」
■早朝スタート:光の村1日密着
全寮制の光の村特別支援学校土佐自然学園。
朝が早い。
集合時刻は6:00。
学園のホームページをリニューアルするためにカメラマンさんが入る。
1日かけての写真撮影だ。
そこに同行する。
5:45に到着。
薄く雲があるが、陽もさしている。
光の村に続く一本道が朝日に照らされている。
自然学園といった言葉を表すようなキレイな朝。
車から出ると、ハチマキを巻いたタンクトップ姿の生徒が歩いてくる。
6:00から体育館で始まる運動のためだ。
「おはようございます!」
大きな声を出してニコニコであいさつをする生徒もいれば、ムスッと歩いている生徒もいる。
ムスッとしている生徒には、先生から「あいさつをしましょう!」と声が上がる。
ああ、普通だな、と思った。
誰もが朝から元気なわけではない。
いつも朝から元気なわけでもない。
いい日もあれば、そうではない日もある。
そういうのを含めての朝の運動。
運動前から先生の日々を想像する。
■体育館内をぐるぐると歩いて回る待ち時間
恐らく10分ほどで始まるな、と思いながら体育館に入る。
早く来た生徒たちが体育館内をぐるぐると歩き回っている。
「これ、すごい」
と思った。
確認をする。
「何をしているんですか」
「待っている間は、歩いたり、走ったりしています」
やっぱりそうだ。
子どもも、大人も、何もすることがない待ち時間は手持ち無沙汰になる。
そういった時に何をするかは決まっている。
不規則な行動だ。
落書きを始めたり、ちょっかいをかけたり、場から離脱したり…
人によって行動は変わるが、望ましい行動をするよりも、そうではない行動をすることが多い。
歩くことで、落ち着かせている。
歩きながら生徒は、様々なことをする。
外を眺めながら歩いたり、おしゃべりをしたり、ちょっと走ってまた歩いたり…
時間の使い方を仕組みとして自然と教えている。
「何もしないこと」を教えるのは難しい。
知識がなければ「待っていなさい」と言うだけになる。
その結果、待てずに様々なことをする。
叱らなければいけなくなる。
時間の使い方として、動くことを教える。
こういった代替方法を教えていることはめずらしい。
■手を添え、背中を押すラジオ体操&マラソン
朝からバリバリ動く生徒だけではない。
個性、特性、その日の気分。
どうしても気持ちとして乗らない、乗れない場合もある。
やらせなくてもいいのか、となったらそうではない。
原則として、決められたプログラムはやらせる必要がある。
でも、家庭で毎朝ルーティーンを進めるということがどれだけ難しいか。
うちにも4歳児がいるが、毎朝起こすだけで大変だ。
ご飯を食べさせ、トイレに行かせ、着替えさせ、髪をとかす。
とてつもない労力がかかっている。
光の村では、中〜高校生とはいえ、実施内容はラジオ体操やマラソン。
労力は計り知れない。
決められたプログラムとはいえ、平日毎朝。
仕事だからといってやり切らせられるだろうか。
自分のことと置き換えて考えると、難しいと思った。
ラジオ体操も、マラソンも、ほとんどの生徒が習慣化されているが、全員ができているわけではない。
そんな時の先生の動き。
膝にポンポンとタッチして、曲げ伸ばしを指示する。
手を繋いで、走らない生徒を走らせる。
それも難しい場合は、背中を押して、共に歩く。
まだ、朝の6時半を回ったところ。
これを毎朝。
情熱という言葉だけでは済まない。
生徒も動かないというよりは動けないという感じ。
そういった先生のサポートに合わせて、身体を動かすことを体感的に学んでいる。
ナチュラルだ。
■近づいても気が付かない集中力:パン・製菓・煎餅・紙器(しき)・調理
跳び箱やマットの器械運動が終わり、生徒たちはそれぞれの分担へ移動する。
ほとんどの生徒は、撮影が入っても集中している。
一部に入った瞬間、気がついて手を振る生徒もいる。
しかし、ほとんどが近づいても気が付かないくらいの集中力で取り組んでいる。
そうした生徒は、撮影をするために、手が届くくらいのところでカメラのシャッターを切って、初めて気が付くくらいだ。
今回が光の村3回目。
作業の写真を撮り続けてきた。
毎回思うのが、高い集中力だ。
いつもと違うことがあれば気に掛かる。
そちらに目がいく。
目がいかなくても、頭は使う。
「誰が来たのかな」
「どのくらいの時間いるのかな」
「写真撮るのかな」
これは、お客さんが来た時だけではない。
日常を過ごしていても、ふと別のことを考えることは誰にだってある。
そういう場面を見ることが少ない。
こういった動きは就労で活きる。
1日8時間。
年間約200日。
仕事の中でどれだけのクオリティを担保できるのかは大きな問題になるからだ。
別の取材で、光の村出身の生徒さんを雇用している企業に感想を伺ったことがあった。
「ほんと助かっています。うちに欠かせない戦力です。(光の村出身だったら)いつでも歓迎です」
そうした力はこういった毎日の生活から生まれている。
■「健常者がやったほうが早い」とは考えない
1日取材の前日。
夕食の様子を見せてもらっていた。
1日取材の朝食・昼食もだ。
どの場面を見ても、生徒たちが動いている。
食事の準備は、複合的な要素が重なるため難しい。
ご飯をよそう、味噌汁を入れる、箸を準備する、それらを個別に配膳する。
しかも、メニューは毎日異なる。
ご飯は量を測っている。
味噌汁の具材は等しくなるように調整している。
箸はポンと置くのではなく揃えている。
配膳する生徒は、誰がどこに座るかを覚え、それに合わせて食器を置いていく。
初期の頃は、先生が準備した方が早かっただろう。
例えば、小学校低学年の学校現場では、次のようにしている。
給食の時間は、2名以上の先生が食事補助に入って配膳をサポート。
しかも、標準時間では足りないので給食時間の前の時間は15分程度早く終了。
それが一般的だ。
子どもたちは、ほんのちょっと違うだけでもパニックになる。
しかも、熱いお汁などもあり、そのパニックが大事故につながる可能性もある。
光の村には、意思疎通が難しい生徒もいる。
そんな中、それぞれができる役割をさっとこなしている。
リスクを可能な限り減らして、長い時間をかけて指導したのだろう。
問題なく、むしろスムーズに食事の準備をしていく生徒たち。
障がいをできない理由にはしない。
大人がやった方が早いとは考えない。
できることは自分たちで行動することを伝える。
そういう思いを感じた。
■作ったプールで体幹を鍛える
真っ青な水が輝くプール。
小学校にあるプールと比較するとやや小さいが、こちらの方がキレイだなと思った。
「昔、作ったんですよ」
プールって作れるのか!?
伺うと、教員と生徒たちで数十年前に専門家から習いながら「作ったプール」だそうだ。
こんなにキレイなプールが!
先生の底力が計り知れない。
一般的な学校でプールを作れる教員がいるだろうか。
驚きしかなかった。
シャワーを浴び、プールへ。
バタ脚から入り、け伸び、クロール…
水泳は全身運動だ。
バランスが取れていなかったり、余計な力が入っているとできない。
泳げないと水が怖いため、体が硬直し、うまくいかなくなる。
生徒たちは全員がリラックス。
手の伸ばし方、膝の使い方、背中の柔らかさ。
それぞれが自然。
毎日のように水に親しむ活動をしていないと、こうはならない。
この延長線上に、コロナ前まで行っていたという宮古島トライアスロンがあるのかと思った。
水泳、ランニング、そしてバイク。
それぞれが難しい。
「毎日のように」ができて初めて成立する。
■カメラマンが先に疲れる文旦畑
前回までで紹介した太鼓演奏、さをり織り・木工を見学して文旦畑へ。
すぐ近くですよ、と古庄教頭が山を指さす。
その言葉となだらかな斜面の山を見て安心して出発。
すぐに違うとわかった。
昼の一番気温が高い時間。
9月とはいえ暑い。
近く見えるが10分ちょっとは歩く。
山道の10分は普段運動していないと辛い。
しかも、最後はスキー場の上級コースよりも急な斜面。
気を抜いたらすぐに滑り落ちそうな場所に文旦の木が植えられている。
カメラマンも私もシャツがすぐにビシャビシャになるほど汗をかいた。
生徒たちはそこで草刈りや枝打ちをしている。
まるで平らな地面かのように。
下半身が強い。
写真を撮ろうにも、足を左右に動かして固定してからでないと危なくてカメラを向けられない。
撮影はほどほど。
ギブアップをして下山をした。
■事実に圧倒される。
1日のプログラムが運動や活動・作業と言われるような身体を動かすもので構成されている。
一つ一つに驚き、すごいと思い、圧倒された。
別に褒めるためにこうした記事を書いているのではない。
生徒たちのゴールの一つを就労と強く認識していると仮定すると、どうしてもそういった言葉に集約されていった。
仕事をすることを考えると、足腰がしっかりとしていること、生活習慣が身についていることは大きな要素になる。
それを身に付けている。
こうした力は1日では身に付かない。
家庭で教えることができる限界をはるかに超えて、チームでできる就労につながる教育プログラムを展開している。
いくつもの公立の特別支援学校も見たことがある。
それぞれ努力はしている。
歴史が培ってきた「プログラム」と「組織力」「情報シェア能力」。
これらは平均的に高い。
それでも、だ。
光の村は、これまで見たどの学校でよりも『就労特化型』だ。
生徒の行く末を見ている。
就職率100%を目標に掲げる学校の段違いの力を見せつけられたように感じた。