先輩が交通事故で逝去

先輩が交通事故で逝去されました。
少しの間、お手伝いと心の整理で時間が必要でした。
今日はこの件を書こうと思ってタイピングをしています。

この先輩を障⇔障継承プログラムで撮影させていただきました。
全国に2名しかいない全盲で公立小学校教員をしていた方です。

出会った時、私は小学校教員に新規採用されたばかりでした。
その頃、先輩は目が見えていました。
どこにでもいる普通の先生です。
でも、私にとっては初めてできた頼れる先輩でした。
聞いたら何でも答えてくれる憧れの先輩でした。
授業も、生徒指導も、何もかもに迷っていたのを助けてくださったのが、その先輩でした。

でも、その後、連絡がつかなくなりました。
その間、手術、リハビリと時間を過ごしておられました。
しかし、私は知りませんでした。
他の友人や先輩がそうであったように、ライフスタイルの変化に伴って、忙しくしているのだろうくらいにしか思っていませんでした。

目が見えなくなったことを知ったのは2年後です。
再会すると、相当に辛い想いで時間を過ごしていたことを教えてくださいました。
それでも「教育が好きや、現場に戻りたい」とおっしゃいました。
先輩の想いを仲間のみんなが受け止め、出来得る限りのことをしました。
行政からの当たり前の、でも、残酷な一般論。
他にも心無い声が多数。
そういったものを全て先輩は突破されました。
復職されるまで数年の年月がかかりましたが、学校現場に戻ってこられました。

目が見えないこと。
それが信じられないくらい全国を飛び回り、学び、遊び、人生を謳歌されていました。

念願だった、地元に異動されてからは「職員に恵まれた、ここは天国だ」とお酒を酌み交わすたびにおっしゃっていました。

私が起業し、障⇔障継承プログラムに携わっていることを知ると、「俺を使ってくれ。俺の姿を見て、あとに続く視覚障がいのある子どもたちが先生を目指してくれたら夢のようや」とおっしゃってくださいました。
そこで学校へ伺い、校長先生からご快諾をいただき、撮影をしました。
目が見えないこと自体が分からない授業。
あまりにスムーズでした。
ここに至るまでの道のりを考えると言葉も出ませんでした。

私はお通夜にこそ参列させていただきましたが、葬儀には出ていません。
仕事がありました。
今回のことを言えば、皆さん快く変更してくださっただろうと思います。
言いませんでした。
その先輩と共に盛り上げようと言っていたこの「障⇔障継承プログラム」の仕事だったからです。
何度も考えました。
何度考えても先輩からは「行きなよ」と言われることしか想像できませんでした。
正解はわかりません。
でも、私はそれが弔いだと思いました。

これを書くことが、また最後の撮影となったその動画を公開することが、本当に正しいのか。
ここには迷いがありませんでした。
絶対に先輩は「やろう」と言う。
そこは確信がありました。

ご家族に相談しました。
考える時間もなく即答で「是非お願いします、それを望んでいると思います」とおっしゃいました。

先輩の動画は来年春に公開予定です。
編集を急ピッチでかけ、四十九日には間に合わせようと動いています。
まずはご家族様に。
次に天国だと先輩がおっしゃっていた勤務校の先生や子どもさんに。
それから、皆さんの元へ。

障⇔障継承プログラムで公開する動画は、どの動画も大切です。
ご本人や保護者様、勤務する企業の方たちが、信頼し、撮影許可を出してくださった動画ですから。
未来の働く子どもたちへつなぐ動画ですから。

その中に、この先輩の動画も加わります。
また一つ、私の中に、この障⇔障継承プログラムを多くの方に知っていただく理由ができました。

お手伝いと心の整理のパートはおしまいです。
「前へ進まな」
先輩がいつも言っていた言葉です。
障⇔障継承プログラムを大切に思ってくれている皆様のために、この先輩やご家族様のために、進みます。

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