「水の怪物」マイケル・フェルプス選手の人生

 オリンピックの歴史の中で、最も注目を集めていたアメリカを代表する一人である、男子競泳のマイケル・フェルプス選手をご存じですか?今回は彼について書いていこうと思います。

 五輪史上最多となるメダル22個、7つの世界記録を保持するマイケル・フェルプス選手はADHDのロールモデルと呼ばれ、9歳の時に重度のADHDと診断されました。ADHDとは不注意、多動性、衝動性を症状の特徴とし、アメリカだけでも約440万人の子供達がこの障がいがあると言われています。小学校ではあまりに注意散漫で、教師からは「何をやっても決して集中できないだろう」と言われていました。当時、彼の母であるデビー・フェルプスさんはこのとどまる事の知らない息子のエネルギーと、話し出したら止まらない様子に当初心配を募らせていました。しかしこの教師の意見にはどうしても賛成できなかったそうです。幼いマイケルのために、成功体験を増やし、彼に自信とやる気をもたせるように、彼が大好きな「水泳」という、最も集中できるものを励まし続けました。

 そんなマイケル・フェルプス選手が水泳に出会い没頭したのは10歳のころ。学校以外の全ての時間を水泳のれんしゅうに費やし12歳からの五年間は365日、一日も休まずに練習、言い訳は一切使わなかったらしいです。水泳を始めてすぐに全国ランキングに入り、15歳で初めてオリンピックに出場して以降全てのオリンピックでメダルを獲得しました。マイケル・フェルプス選手の練習は誕生日やクリスマス関係なく行われ、練習後は動画で研究し夕食時にはレース映像を見る程ストイックに水泳に向き合っていたそう、、そんな中彼は何度か鬱病になり2014年に引退を表明した後には強い自殺願望を抱いていました。それでも努力し続けた彼は圧倒的な実力から「水の怪物」と呼ばれるほどその名をとどろかせました。

 現在彼は財団を運営しており、1万5千人以上の子供たちに水泳を教えており、こう発言している。
「僕は神から与えられた才能を見つけて、それをフルに使うことができることに感謝しているんだ。」

 いかかでしたか?
 自分の性格と能力を知ることでうまく組み合わせた結果がマイケル・フェルプスという一人の存在を大きくさせたのでしょう。水泳に出会わなければここまで成功したかはわかりません。ただ水泳が彼のベストであったことは間違いないでしょう。そして努力を怠らずに結果を出し、鬱と希死念慮に襲われてもその富と才能を社会の役に立てようとする魂の高潔さはとてもかっこいいですよね。ADHDのある人たちも、困難を乗り越え、輝くことができるという事を、マイケル・フェルプス選手は、オリンピックという世界の舞台で身をもって証明しています。

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